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栗城史多さんの死に思う

コンタクトマンのミツシュウラです

登山家の栗城史多さんが亡くなりました

彼は北海道出身だったそうで、お父さんが

地元のテレビ局でコメントをしていました。

いつかこうなる覚悟ができていたと

気丈に感謝を伝えていました。

以前テレビ番組で彼の特集をやっていて

壮絶なエベレスト登山の挑戦の内容を

中継を交えながら放映していました

確かその時に凍傷で指を失ったと思います

その番組を見ていて、やるせなくなり

元気をもらうどころか、恐怖を感じて

正直、過酷な挑戦というものに対する

意味を感じませんでした。

山に魅入られて、命を失った人は大勢おり

何度も無謀な挑戦をするそうですが

栗城さんの場合は、少し違っており

弱いだけではなく無謀さが強く感じられ

無謀さゆえに危険な目にあっている

という感じがすごくしていました

昨日から色々とサイトを見ていて

なんでこんなにモヤモヤするのか

色々と考えて思索していました。

今日は思ったことを書いて見ます

***

栗城さんは否定という壁をなくしたいと

登山前にインタビューで述べていました

著書の中では、登山に挑戦する理由を

できないというのは頭の中で作っており

本当は誰でもやりたいことが実現できる

自分が山に登って景色を共有することで

無限の力を感じてほしい

と伝えていたそうです

しかし、一方で彼はエベレスト登山を

多くのプロの登山家達が忠告して

登山に成功するようにアドバイスを

しても、頑なに受け入れず、自分の

やり方に固執し、それが稚拙だったため

何度も命を落としかけ、救助に助けてもらい

登山中同行中に死亡者も出し、

自身も凍傷になってしまいました

それでも、人の忠告を頑なに受け入れず

自分のやり方に固執し、命を失いました

成功する可能性がないことを何度もやるので

下山家と言われており、毎年無謀な計画で

成功できない日程を組むので、ショーだとも

指摘されていました

それらの批判を一切受け入れず、徹底して

排除して、最後まで自分のあり方を貫き

警告したことが現実となってしまいました

筆者は第三者であり、ただの傍観者の立場で

一視聴者として考えたことを書きますが

この人は、かなり、頑固な人だったんだなと。

アドバイスを否定と捉えていたのかなと

人の意見を頑なに取り入れず、排除して

自分のやり方にこだわった結果として

達成できないことをやり続けてしまった

そんなの無謀だから無理だよという話を

自分を否定されたと捉えたのでは?

彼の行動や言葉から、そんな気がしたのです

応援してくれる人にはなつくけど

批判や否定する人を頑なに拒絶する

自分のやりたいを貫いて何が悪い?

(この考えの人たち、多いのですよ。)

栗城さんは、登山スタイルを貫いており

登山の様子を中継することにこだわった

登山よりも、自分の目標や挑戦を

インターネットで中継して、共有すると

いうことが目的となったような感じです

支援者達がお金を投資してくれるから

その人達に過程を見せることが必要で

支援者に中継することが必然となり

日程はかなり無理があったらしいです

栗城さんがかなり追い詰められていたと

登山家の野口さんがコメントしてましたが

やはりバッシングが原因だろうと思います

ただ彼の行動を客観的に見てみると

わざわざ重くて苦しい目標を持って

大人達を巻き込み、ハードルを上げて

できなかったことで、自分を責めている

焦りのためにさらに重い目標を作る

自分で自分を追い詰めてしまった

そんな気がしてしまいました

無事にあちらの世界に行っていたら

今頃は、癒されていると思います

そのあと色々と学ぶことになります

与えられた命を、大切に生かすことを

あちらの世界で学ぶのではないかな?

あちらの世界は素晴らしい世界なので

彼もきっと楽になっているでしょう

宇宙世界は今日も平和です

ミツシュウラでした


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