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運命がその土地に導く時

コンタクトマンのミツシュウラです

運命とは、何もしなくても勝手にそうなり、自然に導かれる世界です

筆者は20代の後半に、ちょうどノストラダムスの預言が、まだあるんじゃないかと騒がれていたミレニアムへと変わる頃に

北京のコンピュータ会社で仕事をしていたら、日本にいる親戚から突然のメールが来ました

孫が生まれたから、私をドイツに連れて行ってくれない?

という叔母からのメールで、ちょうど中国を去ろうと思っていたタイミングだったので、乗っかりました

そのままドイツに叔母と行って、しばらくいとこの家に滞在したのですが

そしたらば、いとこの奥さんが、近所の人に日本語で声をかけられたと言います

すぐ近くに住む老夫婦は、大阪万博の時に、ドイツからバイクでやって来て、日本に入り、全国を旅して、最後に大阪の万博にゴールしたのだそうです

日本を回っているその当時、日本の新聞で彼らの記事が載っていました

日本大好きなご主人が、古い新聞の記事を見せてくれました

それをみて、ひっくり返りました。

なんと、筆者の地元の宮崎の新聞

しかも、筆者が生まれる数日前の新聞記事に、彼らのことが載っていました

ドイツから来た夫婦が、インドまでバイクでを回り、船で日本に来て、宮崎に来ていること

そして、筆者が生まれる7月頭には、霧島をバイクで旅している頃だとありました

ええ?? この人たち、私が生まれる日に、霧島に来ているのです

それが新聞に載ってたのを、記事で見せてもらったわけです

あまりの偶然に、お互いに驚いて意気投合したので

毎日その家に行って、おしゃべりをしていました

彼は英語ができたので、会話が成立しました 笑

そのおじさんが、あるとき、ベルリンに連れて行ってくれました

こっから筆者の運命は不思議な形で展開していきます

***

おじさんの家族は、ベルリンに住んでおり

戦時中に東ドイツと西ドイツに家族が分かれてしまいました

お兄さんがドイツの科学者だったので、ソ連軍に強制的に仕事をさせられたのがきっかけで、東ドイツに住んでいたからです

戦争が終わっても、ベルリンの壁に阻まれて、家族と会えない日々が長かったそうです

その時に、おじさんから、ソ連軍の話を、いろいろと聞くことができました

ソ連軍がいた場所にも連れて行ってくれました

その流れで、ポツダムに連れて行かれたのです

え? 

ポツダムって聞いたことあるんですけど・・・

あの、戦争を終わらせた会議のあった場所ですよね?

確か原爆が落とされて、無条件降服をさせられた、会議の場所でした

その会議の場所に、突然連れて行かれたのでした。

これぞ、まさしく運命なのです!

ポツダム宣言のあった場所、ホテルの会議室

その場所に行って、日本人だからこそ、様々な複雑な感情が押し寄せました

ここで実際に起こったことが、頭の中に映像で浮かびました

そこにいる間、何か、違う特別な空気を感じていました

だからこそ、今でも鮮明に印象が残っているのです

よりにもよってこの場所に、導かれたことに

びっくりしていたというのもあります

だって、歴史の教科書でも、一番緊張の高まる場所ですから

太平洋戦争の終結が決まった、歴史的に重要な場所ですから

だとしたら、宇宙の人たちはおそらくみていたはずです

そして、筆者が今やっているこの仕事に導かれたのも

平和への活動に専念できているのも、この当時から

なんらかの運命の流れがあったからだと思います

日本人だからこそ、平和の意味の重さを誰よりもわかりますし

平和のために一番苦労して努力をしなければならないと思います

その時に聞いたいろんな戦争体験、アウシュビッツとか

ホロコーストもしかり、ベトナム戦争もそうですが

それらの土地に自然に導かれたのも、運命の仕業だと思います

(平和条約の締結された、世界で一番住みやすい街に行ったのも運命)

そんなことを思ったのでした

宇宙との交流を通して、地球は本当に平和になる時代が来ますよ

運命によって結ばれた宇宙との絆があるから

宇宙世界は今日も平和です

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