人の影響を受けやすい人はエネルギーが流せないと思うよ
コンタクトマンのミツシュウラです
今日はいい天気ですが、工事の音がうるさくて、仕事ができません 涙
ちょっと最近思っていることを書いてみます
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本当は山ほどあるのですけども、頭で整理できたり、理解が中途半端だったりすると、文章には起こせないので、しばらく浮遊させて観察するようにしています。
(ずっとこのやり方で十年以上ブログを書いています)
時々、バラバラで考えていたことが、点につながることもあり、スッキリすると、いっぺんに頭の中に概念としてばさっと入ります。
自分で理解したら、不思議と忘れることはありません。
考え方の根になって、基礎の土台になっていきます
多分、小学生くらいからずっとこの作業をやってきたように思います
それで土台を作ってきた結果の今の自分があります(まだまだ途上)
ちょっと人から(私のことを何も知らない人から)何かを言われたとしても
気持ちが揺らぐことが、子供の頃からありませんでした。
私のことをよく知っているといえるほど(家族以外の)友人なんかも、いつもその時代にいましたので、彼女、彼たちには怒られまくりましたが(笑)、ガツンと怒られて矯正されて育っているので(笑)、独善的な性格でもないし、自己愛やナルシスト様でも全くありません。
私以上に(笑)確固たるベースのある人が、友人になることが多かったので
なんでも相談して聞いてもらっていたので、叱ってくれる人のありがたさや、進言してくれる人の偉大さも心得ています
(社会的な成功者も友人にいます)
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このことを書いているのは、自己主張ではなくて、あくまでも本題の伏線です 笑
エネルギーを流せる人と、流せない人の違いについては、会報誌にてまとめますが、そのテーマにわりと近い話だと思います
例えば、人からネガティブなことを言われた時に、その人に影響を受けて、自分の行動を変えるのか? それとも全く影響を受けないで、そのままの自分の意識で居られるのか?
これって実はすごく大事な要素なんだろうと思ったのです
人の影響を受けやすい人の特徴として
誰かから直接何かを言われたから、言われないようにするために、自分の行動を変えてしまう人です(戦わない人たち)
あるいはまだ言われてもいない段階で、推し量って、行動を制限する人も、影響されるからです
最近聞いた話なんだけども
ある人とある人の間で行なって居た行為を、赤の他人(近所の人)が詮索してきて
あれこれといってきたから、だからその行為のやりかたを変えようということになったと。
それで、その人は色々と詮索してきた赤の他人に対する怒りがおさまらないわけなのです
でも、私なんかは、え? なんでその赤の他人の話を真に受けて、行為を変えてしまえるのか? 謎だったのですよ。
悪いことでもなければ、本人同士が決めてうまくいっていることに対して
どうして堂々としてられないのだろうって 笑
そしたら、ふと気づいて、そういうことなんだなと腑に落ちたのです
たまたま、人の影響を受けやすい人だったんだなって。
私はブログを文章を書いているので、昔はコメントなんかに色々と書き込まれていたりしました
まだおこってもいないことを用いて、ブログを攻撃した方がいました
例えば911のことを書いたのですが、文章を完全に読み違えた人から、神戸震災の被災者の方からクレームが来るぞ!と脅されたのですよ。
自分の怒りを正当化するために、赤の他人を使ったらいけないと思いますが
これをやる人も日本人に多いです
本当に怒っていることを隠して、世間の人がこう言っていると二人羽織になって(笑)
自分の言いたいことを正当化して、攻撃する裏技です 笑
それで人を操る人も中にはいますが
言いたいことを言えない人が、無意識にやっていることなんですよ
その人自体が普段から周囲に自分の心の中を見せていないから、そういう回りくどいやり方で、コミュニケーションをとるわけです
私はこれに20代で気づいたのですが、4年間の海外生活の中で、自分の言いたいことを直接話す教育的指導を外国人に受けたので、他人のことを気にせずに、自分の思ったことをブログに書けるわけなんです。
文章って、自分の心を見せる行為だから、きれいごとだけではなくって
いいことも悪いことも言いにくいことも、苦しいことも全部含まれています
いいことばかり言う人たちって、悪いこと、辛いこと、見たくないことを無意識に追いやっているから、いいことばかりしか言えないのです 笑
で、これをやっていると、結局は、人に言われたことを気にしても、相手と対処するのがめんどくさいから、自分の行動を変えてしまうのです
めんどくさくて、いいことばかりに意識を向けていると、表面的な生き方になるので、日常生活が言いようで、めっちゃつまらなくなります 笑
なぜなら、気づきという波風がないからです
思ったことを言えない人は心が孤独だから、自分と気の合う人が必要になるのです
そうなると、閉ざされた集団の世界に、レリゴーしてしまうのです 笑
このブログで書いていることは、日常生活の中での気づきを深めて行った先にある
ひらめきとか、無意識にあるもっと奥の深い世界の話なのです
そこは瞑想とか意識の使い方とか、祈りとかとは全く無縁であり
日常生活のなかにある、普通の奥のことに気づく発見の旅なのです!
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宇宙からエネルギーを授かった時に流せる人と流せない人に言及しますけど
授かった宇宙エネルギーに対して、いろんなことを言う人が結構いますよ
キチガイだ!
精神異常者だ!
あんなの嘘だ!
お金を取るなんて、詐欺だ!
そんなのありえない
インチキだ
まぁ。もっともっとひどいこと、ありますけどね 苦笑
でもこんな言葉を言われても、まだ宇宙エネルギーのことを正面切って言える人は少ないのではないかな?
おそらく大多数の人たちは動揺して、行動を変えますよ
そのこと自体を絶対に隠しますよ 笑
だから先にあげた人たちを笑えないと思います
多くの人たちは集団から何かを言われたら
言われないように、行動を変えてしまうからです
人に影響を受けやすい人は、批判を気にして行動を変えやすいのです
では、人からの影響を受けにくい人ってどうなのって話ですよ
影響を受けない人は、相手の意図を読み取れるのです
心で相手を感じながらも、意識で瞬間判断できるのです
この人は、なにを言おうとしているのだろうかと
心で深く読み込みながら、無意識で判断します
そしてそれが正しくできている人です
例えば、先の例になりますけども
詮索してきた赤の他人の人は、寂しいから詮索します
孤独な人ほど、人を詮索します
だからこの人、寂しいんだろうなと心で感じる人は
心で優しさを返します
でも、自分の行動を深く詮索をしてくる人には
何かしらの意図があり、違和感もあります
適正な距離を置かなければなりませんから
言いにくいことを伝える必要があります
でも、ここでそれを言えない人っていうのは
相手に正面切って言えない何かがあるのです
ちゃんとその場で違和感を言う人ができる人は
心が正直な人間ですよ
言いにくいことをきちんと言えるからです
これができたら、何ら根は残りません 笑
そこで我慢した、相手に言いにくいことを
他人に言って、影でうさを晴らす人もいます
でも、これをやっても心は晴れません。
陰口は楽しいけれども、後味は悪いものです
根が深いと、悪い意識が変わりにくくなります
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エネルギーが流せる人、流せない人の違いですが
人の影響を受けやすい人は、悪い意識に流されやすく
批判や悪意を言われたら、たじろぎますから
流しているエネルギーは止まるとおもわれます
(これは私の推測です)
全く動じず、気にもしない人だったら
エネルギーも変わらずに流せると思います
自分の行動に集中する力があるからです
意識の力の違いがわかるでしょうか?
人に影響を受けやすい人ほど
人を無意識でコントロールします
誰々さんが言ってましたよ! ってね 笑
人の影響を受けない人は
誰々さんじゃなくて、自分がそう思ってるんでしょ?って
ズバッと言えます 笑
ってか、そもそもが、こんな次元の低い話を好みません 笑
普段からおべっかとかいいことばかり言っている人は
実はそんなに他人からは信頼を得ておらず
ちゃんとズバッと言える人は信用される傾向にあります
言葉に嘘や偽りがないからです
真実の中にエネルギーが入るから、物事を達成できると思います
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした