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恩人の近況

コンタクトマンのミツシュウラです

昨夜、やたら恩人のことが気になってネットを見て見たら、その人がネットニュースで出ていました。

中国に住んでいた時代に、働いていた会社の社長です。

話せばかなり長くなるので、手短に。。。

中国に行くと決まってから、会社の引き継ぎのために半年間残って働いていたら

隣の席に、新しく採用されたばかりの中国人の男性がやってきました。

その方のご紹介で、友人を紹介したいと言われて、紹介されたのが、写真の王社長です。

王社長は文化大革命の時代に迫害に遭い続けた方でしたが、

文化大革命が終わり、大学一斉試験を受けて、中国で3位になり

フランスに絵を学びに行けるはずでしたが、政治的な問題があったため

パリ留学を果たせず、画家になる夢を諦めて、日本に留学したのです

そこから日本語とコンピュータを学び、中国に帰って会社を立ち上げて

まだ20名の時に筆者は、日本語教師として、採用されました

そのままその会社に正社員として入り、その会社は急成長して行き

私はISO9000の取得の責任者として、品質管理を組織化し

そのご、日本に帰国しました。

(中国で初めてソフトウェア会社でISOを取得した)

筆者が在職中に、王さんは書道の弟子入りして、書家になろうと

修行を始めていました。(毎日会社で書を書いていた)

会社は中国で一番大きなソフト開発企業となったのですが

その後のことはたまにネットで見かけるくらいでしたが。

昨夜突然気になって、ネット検索をしたところ。。。

なんと、王さんの写真入りの中国語の記事が出てきました

なんだと思っていたらば。。。

ファイナルファンタジーの作画を担当した、天才アニメーター

天野喜孝さんの作品展を、王社長が企画し、主催していました。

よく見ると、アートの会社の社長としての肩書きになっており

コンピューターから芸術の道に踏み入れた様子でした。

そこで、喜びが満ち溢れて、感情でいっぱいになりました。

画家になりたい希望を叶えようと、その道に入ったのだろうなと

王社長が、とてもいい顔をして立っていたので、伝わりました。

そして、改めて、不思議な縁に、思いが廻りました。

私もかつて中国に映画を学びに入ったので

実は、同じ道を歩んでいたんだなと気づきました

芸術に関することは、よく話をした記憶があります

日本出張の時などに、一緒に同行していたからです

中国の書道のことも、王さんから沢山学びました

実は王さんから、筆先のことを教わったのですが

コリンさんと全く同じ筆先が走ることを話しており

その世界に通じているのだと思いました

王さんが話していたことで、一番印象に残ってるのが

中国の歴代書道界の中で、たった一人だけ天才がおり

その人物は無名で誰もしらないけど、知る人は知っており

その人を超えた書家はいないそうです

ずば抜けた歴代、ナンバーワンの、古代中国の書家は

歴史的には無名でありますが、知る人はしるという

そして私はその人こそ、コンタクトマンだったのでは

ないだろうかと思っています

そして、私たちの未来(自分とコリンさん)の中で

中国でやっていこうとしていることがあるのですよ。

コリンさん自体が、過去に中国とつながりがあるので

そこから繋がっていく可能性があるのですが

その時に、また王社長に会いたいなと、思ってます

書道の筆先の話をしたいのですね 笑

(コリンさんの書も見てもらいたいと思ってます)

いやー、運命って不思議ですね。

また新たな扉が開けるような気がしました

あー、中国行きてーーー! 笑

宇宙世界は今日も平和です

ミツシュウラでした

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