今年で50になる自分に向き合ってみた。

コンタクトマンのミツシュウラです

筆者は今年の誕生日で、ついに50歳になります。

どんどん歳をとっていくわけですが、それに伴い、色々と考えるようになっています。

年相応というのかな。

一般的に年齢が衰えると、見た目も老化していくので、歳をとることは悲しいこと、ネガティブなことと捉えがちなのだけれども

でも昔の人たちは歳をとるにつれて、考えも深くなっていき、精神的な成長が深まるとされており、若い時と違って、落ち着きも伴い、良い面もあるとするわけです。

で、いい意味での自分の内面の変化というのも意識するようになってきました。

見た目とかは、ある意味、覚悟というか、受け入れなければならないことで、衰えも仕方がないこととして、潔しとするというか(笑)

それで、肉体の衰えも受け入れつつの、でも精神的変化も感じているこの頃です。

筆者は40代になってから、ぐんと生きやすくなったなという感慨があり、40代になった頃の周りの人たちも、同じようなことを話していました。

見た目とか、年齢とか、外見とか、世間体とか、いろんなことが気にならなくなり、気持ちが楽になったという人が多かったのです。

50代になると、もうあと10年で60代ですから、体力と健康維持が最重要課題となってきます。(笑)

ここ数年は常に健康を意識して過ごしてきました。

60代になると健康に問題が多くなるそうなので、一番大変な時期となり、70代、80代まで健康で仕事ができるためには、意識を変えなければなりません。

今から80歳になった時の自分を念頭に入れています。

その逆算の中で、限られた時間にできる日々の暮らしが、若い時よりも一段と、深みと重みが増すわけです。

50代はギラつきも抜けて、あっさりとしており(笑)、まだ若干体力も残っているので、楽しい時期かもしれないなと思ってもいます。

(健康さえ問題なければ)

これまでの人生を振り返って、人生で大事なのは心ではないかと思っています。

意識ではなくて、(あえて)心。

心が健全に育っていれば、老いても人は内面の成長が追いついてくると思います。

心が健全に育っていなければ、肉体の変化に心が追いつかず、焦ったり不安になったりするのではないかと思うのです。

そうすると、若作りをしたり、無理に若さを保とうとして、体と心のバランスがずれるのかなと。

でも、心が健全に育っていたら、多少老いてもくよくよせず、肉体に合わせて意識を変えれるし、これまでの道のりに達成感や喜びを感じるのではないかと思うのです。

では、心が健全に育っているのはどう判断したらいいのか?

それってやっぱり、人に感謝ができること。

そして自分の間違いに気づいたら、心から反省できること。

この二つは心の働きなのだろうと思います

だって意識というのは、どういう方向にも自由に向けられるけれども

人から受けた感謝を忘れないのはだからです。

そして自分が間違ったと思うのも、なんだよね。

人間関係において、色んなことがあったとしても、最終的にどんな感情が残るのか?

感謝か? 怒りか? 反省か?

最後に残る感情こそが、心の物差しなのではないかなと思います