高倉健さんと心の世界
しばらく前に高倉健さんのことが頭に浮かんでて
何かあると思っていたのですが
今日”はっ!”とひらめきまして、ようやく謎が解けました
私の人生は、長い間、高倉健さんと不思議な縁があります
私が中国にいくきっかけは映画監督の作品をみたことから、中国で映画の勉強をしようと北京映画学院に会社をやめて、語学留学をしたのです
その映画監督は、世界的に有名で、オリンピックの開会式の演出を手掛ける代表的な人物となりました
張監督は、実は高倉健さんの映画を見て、惚れ込んで、映画の世界に入ったのです
中国に行って映画を勉強しようと熱意をもっていたところ
ある日飛行機の中でばったりと、ハリウッド映画の助監とスタッフと出会い、北京でも何度か会って会食をしたのですが、その女性助監督は、ブラックレインも手掛けており、高倉健さんと一緒に仕事をしたそうなのです
そこで再び高倉健さんの名前が出てきまして、すごい人だなと感動したのを覚えています。
アメリカ人でも、あの健さんが!!と言ってましたからね 笑
すごい役者だということは話を聞いて伝わってきたのです
そしたらば、中国をさる前に旅行をしたときに、ばったりと出会った映画界の巨匠
彼は高倉健さんと親密で、国際映画祭で健さんが賞をとった関係人物なのでした
その彼も、高倉健という役者のすごさを語り、賞を与えたと話していたのです
中国で三度立て続けに映画関係者から高倉健さんの話を聞くことができたのも不思議ですが
そのあとに、今度は九州の地元で仕事をしていた時に、地元に高倉健さんが撮影でやってきたという噂話を聞きました。どういう会話をして、どういう姿だったか、健さんがその時に通ったという飲食店の知り合いから聞きました。
やっぱり健さんはすごいという話になり、そのCMが健さんの最後の作品となったのです
余韻がずっと残っていましたが、北海道に来て、今度は若い頃の健さんの作品を見ることが多くなり、改めて、高倉健さんは北海道にどれだけ縁が深いか、知ることができたのです。映画の撮影地は多くの観光客がおとずれ、海外からもやってくるのです。
私も夢中になって、日本海をドライブし、撮影地を見て、余韻にひたったのでした
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宇宙の世界の仕事をするようになり、運命は決まっているということがわかるようになると、高倉健さんの運命についてよくよく考えるようになりました
これには大事な理由があり、これから少し説明しようと思います
多くの人たちが映画スターとなるために下積みをして、努力してはいあがって自分の役を実力などでつかみとる、これが一般的なスターになる道のりと思われていますが
中にはなるべくして、努力も何もせず、たまたま映画役者になったという、明らかに運命とおもわれる有名スターが存在しています
高倉健さんは、その一人ですが、やりたくない役者や歌を監督からやらされた結果、大ヒットしていったわけで、これぞ運命だなと思わせる道のりです
私はそこに魅力というか、運命の謎があると思って、色々と思索にふけっていたのです
多くの人たちは、足をバタバタさせて必死に泳いでなんとか運をつかもうとするわけですが、失敗する人も多く、うまく運をつかんでも、努力をし続けなければならない人たち大勢します
つまり、何もしなかったら、何も起こらない人生
努力しても、なかなか達成でいない人生
こういう人生があるのに対して、何もしないのに、ばったりと運命として遭遇し、その道を気づいたら歩んでいるわけです
そこにあきらかな轍があるように思えます
運命は決まっているとすれば、努力しても届かない場所に背伸びをして、結局は落ちたり、失敗する場合もあります
無理しなくても、そのままでいいのに、夢を見たことで、わざわざ背負わないでもいい苦労をしてしまう場合もあります
今の私自身が、わだちのあり、それが見える運命の道を歩いているので、余計に思うのですよ なんか無理してて、背伸びして、つらそうだなって、思う場合もあるのです
高倉健さんのスターぶりを知ると、つくづく運命的だなと思えます
健さんへという映画がつくられて、関係者の話しがじっくりと聴けるのですが、大勢の映画人たちが、世界各国からオファーをしていたそうで、健さんに出て欲しいために、健さんのために役と脚本を準備していたらしいです
高倉健という人とただ仕事がしたいだけ
役よりも作品よりも、健さんという人が大事だったのです
すると、そこで岡潔博士の話がすっと入ってきます
岡潔博士が本に書いていたのが、学問より、人を大事にするべきだと
その人から学びたいから、その人から教えを受けたいから留学をするという考え
ただ留学すれば箔がつくから、どこでもいいから留学するとか、何かを学びたいからそこの大学に行くとかでなく、人を第一条件に選ぶべきだと話していたのです
人を第一に考えるべきで、もっと人を重んじて、よく見て知るべきだと
まさに高倉健が第一で、映画はそのためにつくるという、健さんの世界があったわけですね
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健さんへの映画の中で語られていたこと
それは、健さんの心についてでした
役者は心を見せることで、そのシーンにただ立つだけで、すでに健さんのいる空間と風景が流れてくるのです
セリフも極力排除し、ただそこい立っているだけで、存在感がつくられる
そのことを、健さんは心を見せると表現していました
健さんは心を大事にするあまりに普段の生き方を大事にしており、プライベートは保っていて、自分の世界の日常を遮断していたそうです
時には映画の作品のあと、数年間は仕事をいれず、ひっそりと人の目にふれない場所で自分の生活と空間にそまっていたのです
前回の記事で書いたこととつながってくるのですが、人の目や意識を完全排除し、遮断して、別の空間に身をおくことで、心を広げてそこから感じることを、役に投入していたようです
そのことを、心を見せると表現しており、人との出会いをとてもとても大事に思い、心のふれあいを楽しみにしていたそうです
すごい思いやりがあり、自分のことのように喜んでくれたり、祝ってくれたりして、健さんの周囲の人たちが、好きで好きでたまらないほど、絆が深かったようです
だから、健さんはスターとしても運命があり、国境を超えて陶酔する人々を増やしていったのですね
このあり方が、調和、そして平和ということなのかなと
絆とか、情緒とか、境地とか、色々とありますが、空間と心の関係性が、見事に表現されていると思いました
そして、なぜ健さんが人生の中でこんなに頻繁に存在が、名前が出てくるのか、謎が解けたように思います
高倉健さんは私の心にも深い余韻を残していたのですね
宇宙世界は今日も平和です
みつしゅうらでした