真智と邪智の違い
コンタクトマンのミツシュウラです
真智、直感、ひらめきについて、わかりやすく説明します
わたしという意識は自意識です
これを仏教では小我と呼んでいます
小さい、自分、すなわち、エゴのことです。
前にブログにも書きましたけども
わたしが手を動かしているわけではなく
手を動かしているのは、脳神経です
もっと言えば、脳神経を動かす何かです
これを潜在意識とか、無意識とか言いますが
なんらかの仕組みがそこにあるわけです
私が一本一本の神経を動かしているわけではありません
例えば体の水分が不足したら、潜在意識が自意識に働きかけて
水を飲みたいという意識にさせられるわけです
私という自意識が、水を飲みたいと思うように向けられるわけです
どうしてそうなるのか、自意識(私)はわからなくても
そこになんらかの仕組みがあるわけですよ
その仕組みがまだ解明されておらず、とにかくすごいわけです。
で、すでに自然界に存在している、そのような未解明の仕組みを観察を通して探ること
そのことがわかることが、発見であり、真智の光がさすわけです。
ひらめきとか、直観力というのは、そういうことね。
その発見に至るまでには対象をありのままに観察するわけです
そしてその時の意識は、無我夢中になっているから
わたしなんてないわけです
対象に没頭しているとき、自意識(私)、小我は消えます
発見とは、外部からすごいものを見つけた時に起こる純粋な感動です
だから、そういうものを発見した時は、仕組みという高次元の世界を垣間見ることなので
高次元に接したとき、つまり創造主とか神とかすごいものに接してそれらを発見した時、自意識も圧倒され、感動します
わたしという自意識が外部の創造の仕組みに畏敬の念を感じるからです
真智とは、外側の世界に創造とか神とかを垣間見ることです
そしてそれがわかる時も、外からやってきます
自分でわかったとは思わないわけです
教えられた、見せられたと思うわけね
***
直感に対して、自分が見せられた、自分が発見したと
自意識が強く混じることを、邪智、妄智と呼ぶそうです
そこに濁りと混じっているわけです
だから、自意識を排除することを、昔の人たちはやっていたわけです
そうしないと、本物の直感が入らないからです
自意識が入ると、わたしが主導権を握ろうとします
わたしに力を与えようとします
仕組みがすごいのに、わたしの方がすごいに置き換わるわけです
わたしという自意識は、神経さえ動かせません
水も飲むように、仕向けられているのに過ぎないわけですが
小我と動作が一体となると
自分が水を飲みたくなったと、思い込むのです
自分に意識が強過ぎて、客観的に現実が観測できないわけです
これが強いと、気分に左右されるようになり
意識の中に、わたししかない意識になるわけです
本当は、潜在意識も入るし、自意識だけでなく意識は外部からにも影響を受けているのだけどね
予知とかも含めて 笑
わたしという自意識、小我に力を注ぎすぎると
直感とか、真智とかの知力が入り込む予知がなくなるのです
水を飲みたいという衝動に翻弄されるからです
それ以外の意識が入らなくなります
自意識は、神経すら動かせません
わたしは何もできませんよね?
仕組みすら知らないのに、そこに比重を置いてしまうと
わたしがわかった!と衝動性が出るのです
わたしがインスピレーションを受けた!
わたしが考えた!
自意識に舵をとらせると、自意識過剰となり
どんどん、横柄になるのです
わたしってすごい!
その最終進化系が、
わたしは神とか
わたしが創造主とか
わたしだけがすごいエネルギーや直観力を得られるとか
妄智が大きくなり
自然界の仕組みが見えなくなるのですよ
わたしという小我を操縦席に載せると
邪智や妄智に力を注いでしまい
知力がささなくなるのです
そうすると、どうなるか?
無明になります
真智がささないと、不安になります
どっか不安で、どっか頼りなくて
わたし以外の絶対的なもので無意識に補おうとします
それが名声だったり、お金だったり、物質だったり
あるいは宇宙連合だったり、神様だったり、龍だったり 笑
その他色々あると思います
それらで心を補おうとしても、満たされませんので
どんどん刺激を強くさせないと、飽きっぽくなるのです
そのことを、岡先生が詳しく本で話しています
真智、知力、直観力とは、予知、透視、判断力につながってくるので
迷いがありませんし、不安も強くなりません
真智の光がさすほどに、人は心が満たされるので、安定します
仕組みがわかるって、謎解きみたいで、面白いしね 笑
無我夢中で知恵の輪に取り組んでいるようなものですよ
解いたら、スッキリ!です
解けたら、純粋な喜びなので、自意識も一緒に嬉しいです 笑
純粋なる心の悦び!
この文章を書くのも、書くことそのものが悦びであり
考えること自体が、悦びなのです 😛
そこから純粋なエネルギーを得ているから
わたしすごいでしょう?とか思わないわけです
わたしは、岡先生がすごいと思うし、コリンさんがすごいと思うし
純粋な感動があるから、こうして飽きることなく文章を書けるのです
真智を得ることは、悦びです
どうやって得られるようになるかは、岡博士が詳しく書いているので、本を参考にしてね!
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした