神秘体験は空想に過ぎない
コンタクトマンのミツシュウラです
大事なことを思い出しました。
麻原彰晃の修行のことで、思い出した。
岡潔博士が話していたことです。
岡先生は仏教の修行をするようになってから
より数学の答えがわかるようになっていたそうです
結論として、仏教のお釈迦様が説いていたのは
心と脳と意識の世界のことであるとわかったそうです
正しい修行をすれば、直感やひらめきがつくようになる
それには心の世界を知らなければならないということ。
岡先生が言っていたことは
心において二つの空間の壁を超えることでした
一つ目は、自他の境界がなくなる心の世界
他人の気持ちや痛みがわかる心の世界
自分と他人の区別がなくなる世界です
二つ目は、時空を超えることができる世界
二つの壁を越えると、そこには答えがわかる
そこは過去も未来もわかる世界です
かなりの数の高僧たちがこの世界を知り
心の境地に入っていたそうです
ここはお釈迦様が語った、宇宙世界なのです
だから時空を超えて未来とか過去が見えので
お釈迦様も未来のことも正確に予知していました
***
自分と他人の境界を越えることとは
心で相手を感じ取れるようになることです
自分を消して、あたかも相手になったように
人の気持ちを想像して意識を向けると
自分という小我は消えます
人の気持ちが心でわかるからこそ
大変だ! 助けなきゃ!
って本心で思えるわけです
このとき、自分と他人の心の境界を超えて
人は心でつながります
例えば被災地の人たちの家の状態を見て
自分の家だったら。。。家族だったら。。。
と思ったら、動揺し、心が痛みます
心が何も感じなければ、大変そうだな!
くらいの感覚です。
人間には心があるから
被災者や苦しんでいる人を見ると
心が痛むのです
自他の境界がない世界というのは
心を向けて汲み取ろうとする意識世界です。
昔から日本人はこの世界に通じていました
それらを表現する言葉も持っていました。
オウム信者たちは厳しい修行で心をなくし
変性意識ばかりを発達させたようで
他人の痛みがわからなくなっていました
サリンをまいたら、負傷者がどんな目に逢うか
心があったら、心で感じ取れる世界ですが
心をなくす修行だったので、道を誤ったわけです
そもそも本来の仏教の教えと違っています
仏教という宗教が悪いわけではありませんよね
人間が悪かったのですね
人間って極端だから、深く考えないと
だから宗教はダメなんだとか感情的な
議論になって、何でも否定に入るのですが
それでは本質を捉える機会を逸します。
対象を正しく理解しようとするとき
人は意識が対象にグッと向きます
そのとき、小我の自分は消えて
外の世界の対象と交わります
内と外が交わるのは、心であり
心を通して対象を理解できるのです
岡先生によると、それが本来の仏教の
教えだったそうです
厳しい修行や瞑想ばかりやって
無理に意識を高めてエゴを消して
神秘体験が、神を見ることが目的だったら
人と心で交わることができなくなります
本来の教えではなかったんですよね
だからお釈迦さまは、修行をやっても
悟れなかったので、途中で放棄したのです
悟るということは、宇宙とのつながりのことだから
瞑想や修行をやめたことにより現実に戻ったので
結果的に宇宙とのつながりができたのですね
今でも瞑想とか修行とかやっている人多いのですよ
神様や龍や宇宙人と対話している人も多いのです
それを公言して、リーダーとなりたがる人も多い
でもみんな、うさんくさいです 笑
それらに飽き飽きしている人も多いしね 爆
でも、たとえたくさんの偽物がいたとしても
宇宙世界は本当にあるのです
今も昔もずっと、宇宙世界は身近なのです
本当にあるのだから、どこかで人は憧れて
空想でもいいから、会いたいと思うのでしょう
講演会では写真をお見せしますからね!
潜在意識に入れてくださいね 笑
宇宙世界は今日も平和です
ミツシュウラでした